軌跡(高校・大学時代)

 高校・社研に属していた。60年安保。大学生に混じり、連日 デモに参加した。部落問題研究・労働問題。レポートを作るのが面白かった。大学では、同和教育研究会に属した。専門の経済学では、農業問題ということで、農村調査で 農民たちの中にとびこんでいった。
 大学生協設立運動の学生側の中心になって活躍した。学部代表の教授たちや大学本部事務官たちと、会議し、飲み会を重ねた。学長の家にも、二度訪問した。四年生の2月、県教育委員会の人事課から、大学に 私と連絡をとりたい という電話があった。電話に出た人は、私がいつも 学生会館に居ることを知っていたのだ。電話が回されてきて、話することができた。高校の社会科教師が必要になったから、こないか、というのだ!裏口採用もいいところだ。そんな話に乗ったら、真面目に採用目差して努力している人たちに申し訳ない。私は、小学校教師を目標にしていた。丁重に断った。次に 経済学の恩師の一人が、「おいお前、大学院を出たら、我が大学に引っ張ってやるぞ。」と言った。これも 小学校教師になりたい ということで断った。   
 神奈川県で教師になり、28歳で結婚式をした。もう一人の経済学の恩師に、横浜まで、奥さんと二人で、出てきて 仲人の席に座ってくれ、と頼んだ。高知から横浜。学部長だった先生は 来てくれた。思えば、自分中心 傲慢なことであった。生協食堂のおばちゃんたちのメッセージをテープで 届けてくれた。ありがたい配慮であった。その後 先生は学長になり、数年後、東京に出てきた折、教え子の呑み助と バーに行き、階段から足を踏み外し転落。帰らぬ人となった。もう一人の恩師が 学長になった。                 私は 一匹狼で、ずるい。責任ある立場より 気ままな道を進んだ。  今 こうして 中国に居る。
   写真は 連雲港。秦代、徐福は始皇帝を騙し、この港から旅立った。 
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by yamayamakawaumi | 2005-01-02 10:30 | その他


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