小学校教師への道

  大学時代を通して 地域子ども会の指導に当たってきた。決定的打は、3年生の冬。   先輩が 山奥2級僻地に赴任していた。1級と言ってもいいほどの不便さだ。バスを降り、真っ暗な山道を、忍者歩行の術を使って、2時間近く。「西谷村」である。「東谷村」も同じく2級僻地。単純明快な命名である。中学3年生は、7人もいた。卒業なので、公民館で 夜通し過ごすのだという。我々も1時間ぐらい参加して、ゲームを教えた。「発電所・変電所」。真ん中に一人入り、周りの全員が手をつなぐ。オニに見つからないように、電気を流す。あとで聞くと、一晩中それをやっていたそうだ。いい思い出になったことだろう。小学生全員で 14人。3年生の男の子。家では 貴重な労働力なのだ。その手は、ひび割れた労働者の手だった。3泊して帰るという時、彼は私に抱きついて放さない。「どこかに針金はないか。しばるんだ。帰らないで。」・・・   卒業式に電報を打った。参加した親達は「その電報は 誰なんだ?」と 驚いた。文章が形式的でなく、少しだけ長かった。先輩が説明し、みなさん 喜んだとのことであった。その地区には、いままで 議会議員以外の人間からの電報は、なかったとのことだった。
 この経験が私を小学校教師にさせた と思っている。
 写真は 中越国境・徳天瀑布  左がベトナム  右が中国 
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by yamayamakawaumi | 2005-01-04 15:32 | その他


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