社会科「郷土の昔」を調べていたら

 江戸時代の「宮山村絵図」が目に付いた。私の町の大字である。農業用水中心、堰のある最上流から村はずれの下流までが、村の範囲だ。用水の流域が村の範囲なのだ。用水を見守る位置に氏神様、村はずれの東南の高台に古墳がある。古代、この地域を開拓した氏族の勢力範囲を示している。この氏族が入植する前から、近くに人が住んでいた。大字小谷。支流の上流部に位置している。小谷のあまり水は、本流に入る。その少し下流部に堰を作り、川を掘り、農業用水としたのだ。この用水の最下流に小谷の飛び地がある。この飛び地は、後から入植した宮山の人が、小谷に 挨拶代として贈呈したものと読み解いた。用水・神社・古墳を手掛りに開拓者たちの足跡を追いかけていくと、古代の姿が浮かび上がってくる。神奈川新聞に連載したが、大阪・長野等どこでも、郷土史を調べる時、水の流れが大きな鍵になることがわかった。稲作農民にとって、水は命であったのだ。
 ヤマトタケルが弟橘姫を犠牲にしてまで、海を渡ったのは、平塚・川崎の勢力に 挟み撃ちにあったからである。埼玉県稲荷山古墳の鉄剣にある文を解釈した。被葬者オワケノオミは、ヤマトタケルの質問に、掛け言葉で答えた 火たきの翁である。という論を展開し、新聞に2週にわたり載せた。
 郷土史・古代史研究は、社会科教師であったればこそだと考えている。
[PR]
by yamayamakawaumi | 2005-01-31 17:14 | その他


<< 肉体労働賛歌 日本語はいかに成立したか >>