大学時代のバイトで高収入は、家庭教師。その次が土方だった。土方の親方は 私に言う。「あんたは(教育で)子どもを育てる。俺はビルや家の基礎を作る。俺の仕事が 高知市に 形として残るんだ。教育は残らないじゃあないか。俺の方がいいなあ。」彼は仕事にプライドを持っていた。 ある時、工事人夫の小便を回収したことがあった。午後3時ごろになって、彼は「もう上がろうか(仕事を終えて帰っていいよ)。」と言った。つらい仕事をさせた時は、時間を切り上げて帰す、という使用者としてのツボを得た人使いである。
大阪万博で、有利な仕事がありそうだと 大阪に出て、飯場に入った。ツルハシ、スコップを使って汗を流す。私は穴掘りが好きなので、どんどん掘り進む。すると 隣りの人夫が言った。「お前、そんなにガンガン働くなよー。こっちが目立ってしまうじゃあないか。」「力を100%出していたら、年取るまで働けないぞー。」 なるほど、70%の力で充分なんだと気付いた。 夜は、花札などで金を掛ける。若い親方が入って、エキサイトしないように気を配っている。この親方が用で立った短い間に、掛け金が10倍になっていた。歯止めの利かない連中であった。私はそばで本を読む。寝るのは畳一枚と決まっている。花札の連中が座っていたので、私の寝る場所が 畳のたて一枚に寝られないので、横に寝た。隣の畳の半分と自分の半分を使ったのだ。しばらくして連中も寝ようとした。私の隣の男は、いつものように寝られないので、怒り出した。若い親方がブレーキを掛けた。私は布団にもぐりこんでいたが、ここは起きた方が もめずに済むと判断し、パッととびおき、布団を正し、パッと寝た。何事もなく治まった。 若い人夫が、「土方仕事なんか 嫌になった。又 バーテンになる。」と 出て行った。別の人が言う。「あいつは ああして出て行ったが、長くは続かないぞ。しばらくしたら又 土方に戻るぞ。」と先を見通すことを言った。私が「そういうもんですかねえ。」と言うと、彼は自信を持って断言した。身に覚えがあるのだろうと思った。 高知は 米の二期作地帯だ。二回目は 収量も少なく、労働はきつく、割に合わないので、今は昔の話になった。七月にアルバイトで、稲刈り・田植えを手伝った。体が順応しない初日は、バテてしまい、一日五度の食事の四度目が食べられなかった。スイカしか食べる元気がなかった。農民のしぶとさ、我慢強さに 頭が下がった。
by yamayamakawaumi
| 2005-02-02 21:19
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