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ムービー

 今から41年前、私はアルバイトの 映画技師だった。ドイツ製の35ミリ映写機とともに、高知県の山奥の村を巡回していた。重い重い映写機で、足を踏ん張り 両手で持ち上げるようなものだ。営林署が福利厚生活動の一つとして、やっていたのだ。そのもっと前、私が大阪にいた頃は、町中に映画館がいっぱいあった。A館で上映し終えるとすぐ B館まで、自転車で運ぶ。そうやって いくつかの映画館が同じものを 時間をずらして 上映していた。
 私は小学校で働きはじめた。家庭用8ミリ撮影機を買い、子ども達を写した。特殊学級の子らの 掃除風景など。映写機も買って、一緒に見た。セルロイドフィルムは、燃えやすいので、材質も変化していた。学校では、16ミリ映画が中心であった。8ミリで記録したものは、今となっては、映し出すこともできない。
 ビデオの時代になった。ソニーのベータが消えた。ソニーの8ミリが 人気をはくした。私も8ミリビデオ映写機を買った。ビデオデッキ、タイトラー等の編集用機材、ワイヤレスマイク。教材作り、映画作りに取り組んだ。しかし 8ミリビデオの保存性に 問題があった。長期間の保存に耐えないのだった。子どもの成長を記録しても、20年も経たず、ダメになってしまうのだ。DVDになった今、私は手を引いている。作品を見せる相手が居ないからである。
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by yamayamakawaumi | 2005-02-23 16:05 | その他

農民の知恵

 高知の農家に住み込んだ。労働を積み重ねている人は、コツを見つける。体力の消耗を抑え、合理的に仕事を行う方法。均一に肥料を撒く方法。滑らずに歩く方法。を紹介する。
 例えば4人で 鎌で稲を刈る。5株を刈って置く。もし4人が横一列に並んだ場合、20mの田であれば、20m前進しなければ、立ち上がる(腰を伸ばす)ことはできない。これでは疲れてしまう。もし、5m前進した所で立ち上がり、5m戻るようにすれば、腰を伸ばすことで、体に優しい働き方になる。だから4人は 横一線に並ぶのでなく、5m差をつけた 段々の位置になるように、始めに刈る。それからが 本格スタート。先頭が田の向こう端に到着したら、三人に合図し、全員が5m戻り 隣りの人が刈っていた場所の続きを刈るのである。
 左手で株をつかむのだが、親指と人差し指で、3株持つ。4・5株目は 中指等3本でつかむ。そして寝かせれば、少し交差し、乾燥させるのに都合がいい。
 
 広い田んぼに、顆粒肥料を撒く。右手でたくさんの顆粒を握り、広く均一に撒くのだが、コツがある。右手の形を工夫するのだ。指の間に少し隙間を作って握る。そして 右外側から左方向に振り、指の間から出るようにすると、均一になるのだ。
 コンクリートの畦(あぜ)を歩くとき、泥でぬるぬるし、裸足でも滑りやすい。足の指を立てて歩くと、(スパイクの爪と同じような働きをして)滑らない。
 コツ、知恵は たくさんある。  
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by yamayamakawaumi | 2005-02-05 19:44 | その他

肉体労働賛歌

 大学時代のバイトで高収入は、家庭教師。その次が土方だった。土方の親方は 私に言う。「あんたは(教育で)子どもを育てる。俺はビルや家の基礎を作る。俺の仕事が 高知市に 形として残るんだ。教育は残らないじゃあないか。俺の方がいいなあ。」彼は仕事にプライドを持っていた。  ある時、工事人夫の小便を回収したことがあった。午後3時ごろになって、彼は「もう上がろうか(仕事を終えて帰っていいよ)。」と言った。つらい仕事をさせた時は、時間を切り上げて帰す、という使用者としてのツボを得た人使いである。
 大阪万博で、有利な仕事がありそうだと 大阪に出て、飯場に入った。ツルハシ、スコップを使って汗を流す。私は穴掘りが好きなので、どんどん掘り進む。すると 隣りの人夫が言った。「お前、そんなにガンガン働くなよー。こっちが目立ってしまうじゃあないか。」「力を100%出していたら、年取るまで働けないぞー。」 なるほど、70%の力で充分なんだと気付いた。
 夜は、花札などで金を掛ける。若い親方が入って、エキサイトしないように気を配っている。この親方が用で立った短い間に、掛け金が10倍になっていた。歯止めの利かない連中であった。私はそばで本を読む。寝るのは畳一枚と決まっている。花札の連中が座っていたので、私の寝る場所が 畳のたて一枚に寝られないので、横に寝た。隣の畳の半分と自分の半分を使ったのだ。しばらくして連中も寝ようとした。私の隣の男は、いつものように寝られないので、怒り出した。若い親方がブレーキを掛けた。私は布団にもぐりこんでいたが、ここは起きた方が もめずに済むと判断し、パッととびおき、布団を正し、パッと寝た。何事もなく治まった。
 若い人夫が、「土方仕事なんか 嫌になった。又 バーテンになる。」と 出て行った。別の人が言う。「あいつは ああして出て行ったが、長くは続かないぞ。しばらくしたら又 土方に戻るぞ。」と先を見通すことを言った。私が「そういうもんですかねえ。」と言うと、彼は自信を持って断言した。身に覚えがあるのだろうと思った。

 高知は 米の二期作地帯だ。二回目は 収量も少なく、労働はきつく、割に合わないので、今は昔の話になった。七月にアルバイトで、稲刈り・田植えを手伝った。体が順応しない初日は、バテてしまい、一日五度の食事の四度目が食べられなかった。スイカしか食べる元気がなかった。農民のしぶとさ、我慢強さに 頭が下がった。 
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by yamayamakawaumi | 2005-02-02 21:19 | その他